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神と仏の倫理思想―日本仏教を読み直す
改訂版 

生と死の教えが世界的に注目されているチベットの仏教。その正統的な教えを解説した初めての入門書。必要最小限の知識を紹介し、教えの本質をやさしく説き明かす。

出版社

北樹出版

 

​発売日

2015/4/20

第一章 近代の知と神仏
 1. 近代の知を再考する
 2. 和辻哲郎と仏教
 3. 民俗学(柳田国男・折口信夫)と神信仰
第二章 伝統的仏教観からの読み直し
 1. 伝統的仏教観―インド・チベットの伝統 
 2. 道元を読み直す 
 3. 親鸞を読み直す
◆日本仏教の特色
第三章 神と仏の倫理思想史のために
 1. 伝来当初の仏教―『日本霊異記』を中心に 
 2. 浄土信仰の諸相―折口信夫『死者の書』を手がかりに 
 3. 語りと成仏―夢幻能の世界
◆その後の展開
◆補論・和辻哲郎の「人間」の学の成立と思想史理解をめぐって

​書評・レビュー(初版に対してのもの)

  • 苅部直『朝日新聞』2009年8月9日(『鏡のなかの薄明』幻戯書房に再録)
    「古代と中世に展開した神仏習合は、異質な信仰をいいかげんに混ぜあわせたものでは決してなかった。在来の神の信仰は、人がふだん生きている狭い時空をこえ、すべてを見とおし包みこむような、新しい知を求めていた。仏教の側は、あらゆる生き物を苦しみから解放する仏陀の知を得る前の段階として、一般人に向けた教説を必要としていた。二つの要請がたがいに補完しあう、筋道だった体系を、神仏習合はもともと備えていたのである。
    徳川時代における儒学の支配、さらに近代の神仏分離と仏教理解の西洋化は、そうした体系を打ち壊してしまった。しかし吉村は、近代にも柳田国男と折口信夫の民俗学が、文献としては残らない伝説や習俗の世界に、日本人の本来の信仰のありようを探ったことに、意義を見いだす。
    そしてまた、文字など読めないにもかかわらず、仏教の高度な知恵を体現した「妙好人(みょうこうにん)」たちが、庶民の世界には出現したことに注目している。この細々とした系譜に基づいた、あらゆるものを共存させる倫理、その可能性にむけた賭けが、叙述の背後から顔をのぞかせているようである。」(抜粋)

  • 斎藤英喜 『週刊読書人』2009年9月25日
    「…あえて「近代小説」たる折口の『死者の書』にこだわるのは、「神仏習合」がたんなる過去の伝統ではなく、近代の内側にあって、なおかつそれを超え出る可能性を探ろうとするモチーフに繋がってこよう。
    ここで本書の言う「神と仏の倫理思想」が、「近代の知」を再考する、重要な戦略であったことが見えてくる。本書冒頭に置かれる和辻哲郎の仏教観が「釈尊を出発点として発展していく思想」という近代仏教学に近いという指摘、あるいは親鸞にたいする従来の評価が「キリスト教的な救済を祈る信仰」としか見ていないことへの批判など、「神仏習合」を切り捨てた以降の仏教理解の近代性を暴きだしていく。とくに親鸞の浄土信仰の内実が、「チベットの浄土思想」と類似すると論じていくところなどは、とてもスリリングな展開だろう。
    本書は「無自覚な自己を照らし出す鏡」としての倫理思想史研究の手法にもとづく。それこそが、従来の「神仏習合」や「仏教」にたいする議論とは一味違う知見を示してくれる要といえよう。」(抜粋)

  • 末木文美士『週刊仏教タイムス』2009年12月10日「仏教・宗教関係書 今年の3冊(2009)」
    「『神と仏の倫理思想―日本仏教を読み直す』は、最近はチベット仏教の研究にまで進んだ著者が、既成の枠に捉われることなく、倫理思想という観点から日本仏教を見直そうとした意欲作。過去の思想が常に現代との対話の中に呼び出され、常識的な理解が揺り動かされる。近代的な「知」の世界の枠を超えて、より根源に深まろうという冒険の書。」

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